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これまでの滑稽俳句大賞受賞作品
第一回 第ニ回 第三回 第四回 第五回 第六回 第七回 第八回
第九回 第十回 第十一回第十三回 第十四回 第十五回 第十六回
第八回滑稽俳句大賞
 
愛媛県 久我正明
デコポンに勝ったと思ふ柚子の顔
ペンギンは「ふ」の字のかたち日脚伸ぶ
お疲れのご様子ですね枝垂桜
紙風船さてはギョーザを食べただろ
よたよたと腰痛の蟻パン運ぶ
赤富士の大崩落やかき氷
空蝉や縄文顔をしてをりぬ
キク科なる雑草繁る文化の日
着膨れてペンギンとなる修道女
太古より海鼠は海のなまけもの




受賞の感想
 大賞をいただきありがとうございました。自分の俳句が評価されたことがとてもうれしいです。私は色々と俳句を学んできましたが、俳味の流れの中にメッセージをさりげなく残す俳句に一番興味を覚えています。「うふふ」と笑え、「おやっ?」と立ち止まってもらえる俳句です。「俳句は上品にそして面白く」が私の目標です。俳句は国文学の一つでありますが、自然科学、文化人類学、美術映像学などの教養と想像力、描写力、構成力などの才能も必要で、たいへんに奥が深く興味が尽きません。私の受賞作の「ふ」はペンギンでも修道女でもなく俳句を学ぶ私の「歩く」姿そのものです。俳句の言葉の生み出す大いな る可能性にこれからもチャレンジしていきます。

 
大阪府 柊ひろこ
さよなら制服春来て私服ご自由に
啓蟄に先んじてあり治虫(おさむし)忌
朝寝してメフィストフェレスとねんごろに
鬼札(ジョーカー)を引かせる遊び春炬燵
積ん読の山が笑ひて崩れけり
風船がしぼむエステに行かなくちや
女王蜂びびつ働き蜂ぶぶつ
春愁の掃除機にして吸ひかぬる
切られたる首ぶらさげて花見かな
蜃気楼あいにく今日は満室で


 
東京都 牟礼鯨
竹婦人借るや家主へ足を向け
髪色は黒に決められ文化の日
吊るされて連れて行かれる七五三
死んだ目のミッキーマウス隙間風
笹の座に着くもパンダの初仕事
先生対生徒全員雪合戦
池涸るや引き上げられし乳母車
ボロ市や靴の出処言ひ淀む
代官の白州跡なる落椿
卒業の一名起立申しあぐ


 
沖縄県 仲村ひさ子
空の色何色にする終戦日
耕せば生きてる化石不発弾
苦瓜は修羅の土に実りたる
幾重にも偽装の泡がこの国に
徘徊す輪廻の街にケセラセラ
更地にも夏の雲あり悠々と
泥水や糸瓜の吸へば透き通る
ありのままないままにあり余生かな
異邦人阿波踊して和の人に
焼餅を焼くだけ焼いて余寒かな


 
大阪府 久松久子
花筏亀の背中に座礁して
絵馬同士ぶつかり合うて梅二月
勿体ない勿体ないと黴させて
七変化奇人変人我俳人
待ち人のエスカレーターに浮いて来い
蝉時雨一樹辟易してゐたり
惚け同士同じ話に走馬燈
葷酒門入れば新酒品評会
財テクに遠く勤労感謝の日
南禅寺の松の手入れは五右衛門に


 
東京都 青木かずこ
客人の増えて鯛焼切り身とす
ホームズとワトソンらしき無月の夜
竹伐るや会ひたきものに月の姫
夏痩せを知らず空也の最中かな
子の飽いて目高の餌の役目負ふ
踊子の肩で息する路地溜り
秋の蚊の老母のゆるき手にかかり
目刺講釈背黒真鰯乾燥度
風邪の身に電話宅配回覧板
星の児の大き欠伸や聖夜劇


 
熊本県 本多加奈
菜の花に指揮棒振って音楽会
薔薇の花片手にもって作曲し
満開の桜道を電車行き
思い出の曲になりそう赤とんぼ
純白の上下二輪の冬牡丹
夏の夜若葉の下の時計塔
夏の夜城へ行く道静かなる
風鈴草綺麗な頃に作曲し
ニ期咲きの冬も見頃か寒牡丹
ショパン聞きひとりぼっちのクリスマス


 
東京都 三宅あき子
大嚔と共に帰宅の夫かな
背伸して孫の頭を撫でる新春(はる)
お洒落ごころ失はず梳く木の葉髪
大盛りの韮ばかりの鍋合宿所
どなたにも会へない素顔春の風邪
サングラス外して悪さ出来ぬ顔
我が前を流しそうめん素通りす
なま足に負けぬ素足の大年増
秋蝉に占められてゐる耳ふたつ
着ぶくれて美人不美人大差なし


 
審査方法と結果

十句を一組とし、一組を一作品として、十句すべての出来栄で評価、審査を行いました。応募者総数七十一名、八十一組すべての作品を、無記名で各審査員にお渡しし、審査いただきました。一位から五位までを選出いただき、一位は五点、二位 は四点、三位は三点、二位は二点、五位は一点として、集計しました。

その結果、以下の各氏が受賞されました。
最高得点の十一点で大賞を獲得したのは、久我正明でした。

入選は、
六点…柊ひろこ、牟礼鯨
五点…仲村ひさ子、久松久子
四点…青木かずこ、本多加奈、三宅あき子
今回、残念ながら、次点は二重投句のため該当者無しとなりました。
三点…野村信廣、渡邉美保、柳紅生、神野喜美、
    鈴木敏文、横山喜三郎
二点…加川すすむ@、工藤進、佐藤あずさ
一点…加川すすむA、竹澤聡、床井和夫、司ぼたん

 
審査経過と講評
「生きている姿」
俳人  池田澄子

滑稽≠狙ってないのに、滑稽に感じる句。それは生きている姿が感じさせる可笑しさ。一所懸命な姿は、時に哀しくて滑稽に見えるようです。
  私の中で六位だった「生身魂あだ名シャーリーテンプルと」なども、さもありなんと。

 
「磁石が鉄を吸う如く」
俳人協会「俳句文学館」編集長  上谷昌憲

  高野素十の句集「初鴉」の序において、虚子は「磁石が鉄を吸う如く、自然は素十君の胸に飛び込んで来る。素十君は画然としてそれを描く」と述べている。素十はまた「技巧も心である。技巧を養うということは、心を養うということになる」と繰り返し説いていたという。
 不遜ながらこの言葉を「滑稽俳句大賞」の審査参考として当てはめて見た。「磁石が鉄を吸う如く、作者の胸に滑稽は飛び込んで来ているだろうか?」という エラソウナ目で鑑賞させていただいた。また舌を巻くほどの技巧を凝らした句 に出会っても、心を濾過していない技巧は虚しく感じるのである。明らかに大向こうを狙ったような作品は、あざとさが鼻に付いて敬遠したくなる。
 しかし、技巧の全くない俳句は有り得ない。「心を養った人の技巧」とはどんなものか。上位に推薦した作品には、少なくともその風懐があると信じている。

 
「俳句の滑稽のむつかしさ」
現代俳句協会特別顧問  宇多喜代子

 俳句の滑稽とただのおかしいという句が混在しており、あらためて俳句の滑稽のむつかしさを考えさせられました。虚子や風生、比奈夫などの作品のように、そのむつかしさを表に出さずに滑稽味を伝える句を期待いたしたく思います。かりにも、「滑稽」を冠した俳句なのですから。

 
「批判精神と童子の心」
結社「春耕」編集長  蟇目良雨

 滑稽俳句に深さと渋みが加わった句が多く見られて幸いであった。 世間を厳しく見た結果として得られたものと思う。
  一位に選んだ作品に、「キク科なる雑草繁る文化の日」があった。批判精神を感じたのは私だけだろうか。一方、「ペンギンは『ふ』の字のかたち日脚伸ぶ」の素直な童子のような感覚は素晴らしい。

 
「本格俳人、名句揃い」
俳人・女優  冨士眞奈美

 佳作、秀作ばかりの八十一篇です。選句は大往生。テレビの「サラリーマン 川柳」発表を観て、この程度なら選ぶのもラクなのにと。「滑稽俳句」の皆様ときたら本格俳人、季語もキチンと据えられた名句揃い。本当に大変でした。 結局、最終的には選者の特技で「好み」ということに。

 一位、二位、三位は、逆転してもおかしくない同じ順位です。一位に選んだ作品には、詩情を感じ好きだと思いました。モダンな内容にも魅かれました。

 二位の作品は、女性でしょうか。優しい色気とポエムに魅かれました。「ホームズとワトソンらしき無月の夜」「踊子の肩で息する路地溜り」、いいですねえ。

 三位の作品には、大変、好感をもった作品を推しました。
もっと書きたいけれど、残念ながら紙数が尽きました。

 
総評「ゆとりのある作品」
滑稽俳句協会会長  八木 健

 俳句の「俳」には戯れ、滑稽の意味が有り、俳句の歴史からしても滑稽こそ 俳句の本質で重要なものである。しかし、そのことに気付いても「真面目一筋」 でやってきた俳人の多くは、今更宗旨替えできないというのが本音のようであ る。
滑稽俳句に本気に取り組む意欲もなく、滑稽俳句は文芸としての質が高いので簡単にはできないのだが、批判はしても自身は安易に「見たまま俳句」を量産している。

 この百年、滑稽俳句は結社誌にも登場することなく異端児扱いをされてきた。 今でも「滑稽俳句」に眉をしかめる俳人が多い。俳句雑誌でも「滑稽について」 特集するのは、本阿弥書店の月刊誌「俳壇」だけである。

 俳句における滑稽は実に様々なかたちがある。滑稽俳句大賞では、今回の応募作品にも「滑稽の独自性」がそれぞれの作品にあった。今回の選で上位に選んだ作品は、「なにげない可笑しさ」のあるものとなった。滑稽は元来「おしゃべり」のぺらぺらという軽妙にある。大上段にふりかぶるものではない。ましてや「滑稽とは」などと深刻に考えるものでもない。

 この作品の作者に会ってみたいという「ゆとり」のある作品を選んだ。

 滑稽俳句大賞も八回にして更にクオリティーの高い作品を生み出したことを喜びたい。