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これまでの滑稽俳句大賞受賞作品
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第十七回

第十七回滑稽俳句大賞決定
 
山口県 木村たけま
糟糠の妻の朝寝につまづきぬ
二丁目の猫五丁目に恋をして
逃げ足のどれが百足の第一歩
自分史はいま終章の紙魚走る
詩を詠んでをれば草でも引けと言ふ
身八つ口あふいで背ナに団扇風
松茸山制札なくば知れぬのに
白息のしどろもどろに遅刻の子
人肌の燗を所望と雪女郎
日記買ふ妻無駄と言ふさう思ふ



受賞の感想
 近代以降の俳句では、写生や詩情が重視され、機知や滑稽味は影が薄くなりました。しかし例えば、「猫の恋」は、季語そのものが俳諧でありユーモアです。猫の生態に文学性を認めた先人の感性に感謝します。滑稽俳句は、この俳諧への原点復帰です。また、それに魅かれるのは、俳人の持つ郷愁のようなものでしょうか。
「詩を詠んで」が、気に入りの一句です。多忙な連れ合いが、怠け者に放った正直な一言です。申し添えますと、この糟糠の妻が、わたしの句の最初の、かつ辛辣な読者です。
この度の受賞を励みにして、今後も暮らしの中に題材を見つけ、詠み続ける所存です。まことに有難うございました。

 
千葉県 矢嶋英典
もぐら叩きの土竜の心地寒戻る
難破船のごと浸かる風呂朧の夜
ふらここに優柔不断置いて来ぬ
蟻も吾も走る休日出勤よ
青しぐれ敗者ばかりの三国志
掛算の速さで太る秋茄子
星が飛ぶ大きな磁石あるやうに
雪を掻く音増えてきてなほ寝床
南極へ旅立ちさうな重ね着よ
花柊ほどは期待に応へよう



 次点のご連絡をいただき、大変感激しております。選者の先生方、事務局や関係者の皆さま、応募を勧めてくださった「青垣」の皆さま、ありがとうございました。滑稽俳句大賞の存在を知って以来、過去の作品を寝るのも忘れて読み耽りました。俳句はもちろん楽しいですが、滑稽の分野は特に私の肌に合うのかも知れません。
所属する「青垣」の中で、若手のホープと呼ばれ続けてはや十数年。なかなか結果が出ず、今回の作品の十句目の心持ちで自身を鼓舞してきました。この度、柊どころか、かつて見たことのない大きな花が咲きました。

 
広島県 村越 縁
ユニクロで家族お揃ひクリスマス
ポケットの去年のメモや冬すみれ
咳しても餅焦がしても夫の所為
賽銭の費用対効果を論ず
先々の予定あるごと日記買ふ
ペン軽き大統領令や冬深む
八割を隠す眼鏡とマスクかな
初夢は忘れたころに逆夢に
春めくや車中化粧進行中
シャワー全開仕事のわかる上司欲し

 
兵庫県 水間千鶴子
かわらけをほうと投げれば山笑ふ
龍天に昇りて宇宙船に乗る
スイートピーのゆれてゐるなり隠れんぼう
山門に入る秋の蚊をはらひつつ
みのむしや喰ふ寝るところ住むところ
現し身をさかしまにして自然薯掘る
七五三記念写真に鳩のゐて
うとうとと乗りすごしたり暖房車
冬野ゆく犬とそろひのチョッキ着て
三頁あればよろしき日記買ふ

 
山口県 尾倉雅人
ラグビーや鎖骨は折れるためにある
物分かり良くて溶け行く雪女郎
おでん屋の汁つぎ足して不味くなる
仏壇の夫に苦手な豆ご飯
柔肌の熱き血潮のやぶ蚊打つ
空蝉やしがみつくもの間違えて
金婚式終えて夜長をなんとしょう
性格の悪しき蚯蚓が鳴いている
行くか止めるか黄色がなくて唐辛子
烏瓜となりの揺れは他人事

 
鹿児島県 永井貴士
母の日の母へオレオレ詐欺の群れ
父の日や今だけ許す親父ギャグ
えこひいきばかりしている流れ星
スターてふ星に生まれて流れ星
ことごとく釣れない話鰯雲
口コミは俺に任せろ扇風機
天の川時効となりぬ恋心
蜆汁母の小言はたまに効く
龍となる夢に破れてこいのぼり
エイプリルフール日本は神の国
 
山形県 布川百合香
達磨市よい見開らきの白眼あり
初市に達磨組体操の如
鼻筋の通る横顔福だるま
この顔は誰かに似てる福達磨
手も足も出ない案件達磨市
大それた願かけられて福達磨
色別に背負う願いや福達磨
にらめっこ笑わない子と達磨市
花冷えや片目達磨の座る位置
「だるまさんがころんだ」足元に春
 
審査方法と結果

 十句を一組とし、一組を一作品として十句すべての出来栄えで評価、審査を行いました。応募者数は一〇三名、応募作品数は一〇九組で、応募者は過去最多となりました。すべての作品を、無記名で各審査員にお渡しし、ご審査いただきました。一位から五位までを選出いただき、一位は五点、二位は四点、三位は三点、四位は二点、五位は一点として集計しました。その結果、以下の各氏が受賞されました。
最高得点の二十点で大賞を獲得したのは木村たけま、次点は十一点で矢嶋英典でした。入選は、十点の村越縁、九点の水間千鶴子、八点の尾倉雅人、七点の永井貴士と布川百合香でした。
以下、五点が岩神刻舟、大越秀子、奈々志野幻語、前川夏摘、松村正之、安井千佳子、四点が工藤泰子、古賀由美子、島本知子、谷本宴、水上佳星、三点が伊藤泰子、松冨愛子、吉浦百合子、二点が敷島鐵嶺、壽命秀次、杉山太郎、對馬昭人、松尾尚美、松本弥生、八塚一靑、一点が畦田恵子、大友ちさと、尾形誠山、北熊紀生、永井貴士でした。

 
審査経過と講評
「普遍的な何かを」
「軸」主宰・全国俳誌協会会長 秋尾敏

 川柳なら世相を背景に詠めば良いが、俳句というなら、それよりは少し普遍的な何かを前提にする必要があるように思う。大賞にはそういう作品を選んだ。類想句も見られたが、滑稽俳句であればこそ、類型、類想は避けたい

 
「詩と俳諧味が必須」
「帆」主宰 浅井民子

 今年も多くの応募があり、力のこもった作品の数々に出会えました。じっくりと時間をかけ、一句ずつを検討し、それから一組としての十句全体の完成度の両面から優れた作品を選びました。一つのテーマを決めて詠まれた作品群は意欲的であり、高く評価しました。俳句は詩であることが重要ですが、滑稽俳句はそれに加えて、俳諧味という品格ある笑いが必須です。

 
「読み手の記憶に残る句」
「游魚」主宰  伊藤浩睦

 選句をさせていただいて感じたのは、滑稽俳句を作ることの難しさです。十句全てに笑える作品はなく、十句のうち多いもので四句でした。師匠に習った通りに無難に言葉を並べていれば俳句らしくなるという従来のまじめ俳句とは違って、一句ごとに笑える表現を見つけて句に仕立てるという作業をしなければならないので、四句笑えたら上出来です。読み手の記憶に一生残るような偉大な笑いのある句は見つかりませんでした。

 
「表面では見えない滑稽」
「青垣」同人 大島雄作

 滑稽な句を作ろうとするとお喋りになりがちだが、それも理屈も、できる限り薄めて、表面では見えないようにするのが肝要。十句全体での評価のため、足を引っ張る句があって外した惜しい作品もあった。駄洒落や仮名遣いの混同、字の間違いなどは問題外。賞に応募するのだからじっくりと推敲してほしい。一位に選んだ作品には、共に人生を歩んできた妻への思いが軽口で詠まれていて共感した。

 
「俳句としての出来映え」
「山彦」主宰 河村正浩

 例年のことだが納得できない句があるために選べない作品があった。結局、俳句としての出来映えや平準化している作品を優先した。一位は〈松
茸山制札なくば知れぬのに〉などの、そつのない作品を推した。以下、二位は〈釣果もう今日はあきらめ羊雲〉、三位は〈不眠症いつか寝てゐる暖房車〉、四位は「達磨」をテーマにした連作、五位には「足」をテーマにした連作を選んだ。なお、断念した作品のなかに優秀な句が沢山あった。一句のみもしくは数句で、各選者の特選として欲しい句があった。

 
滑稽の味わいとは
「野火」主宰  菅野孝夫

 滑稽の味わいは、狙って出せるものではないようです。まじめに詠まれた作品の裏から滲み出る哀しさの感じられない作品は、底の浅いものになってしまいます。作為の感じられる作品は興醒めです。作者の意図があって作られたと思われる作品が見受けられたのは残念でしたが、全体のレベルは回を重ねるごとに高くなっているようです。

 
楽しい滑稽句
子規新報編集長 愛媛新聞俳壇選者  小西昭夫

 毎回のことながら選考には迷う。というのは、十句すべての出来栄えをトータルに評価するという縛りがあるから。面白いと思う滑稽句でも、俳句になっていない句が入っていると選考から外さざるを得ない。結果、無難な作品を選んではいないかというのが危惧するところではあるが、選出した作品には楽しい滑稽句が輝いている。

 
紡がれた軽やかな精神
「門」主宰  鳥居真里子

 可笑しさは煎じ詰めればどこか淋しく、怖いものだ。常套の表現をはずれて、そこに人間味のある十七音を十句纏めて並べるのはなかなかに大変なことだと思う。そんなことを念頭に置いて選をさせて頂いた。一位、「難破船のごと浸かる風呂朧の夜」「ふらここに優柔不断置いて来ぬ」など、抑えた滑稽味が漂う。二位は巳年にちなんで蛇の句で纏めた力作。「咳をして巳と己と巳と己混ぜ返す」など骨太で揺らぎのない表現。三位の「ストッキング呉れよ玉葱つるすんだ」など大胆な発想が痛快。五作品ともに軽やかな精神が十七音に紡がれていた。

 
 
ほんとうの心の在り様を
「秋麗」主宰  藤田直子

 一位にいただいた十句には、表面に見えている言葉の奥に物事の真実を衝いている句があった。「極楽は退屈ならん日向ぼこ」。日向ぼこをのんびりと楽しむのは極楽気分だが、その一方で、刺激がなく、退屈な時間でもあることに気がついた作者。日向ぼこを楽しめないのは、それまで働き続けてきたことで身に着いてしまった性分なのかもしれない。「恋すれば溶けてゆくなり雪女」。雪女の恋のように詠まれているが、それだけではない。雪女は豪雪地帯で、雪の恐怖から生まれた言葉である。恋をすると不安や恐怖が失せて、いのちが存えるであろうということを含んでいる。「〆に来て河豚雑炊に膝を打ち」。河豚鍋の最後になって、初めて河豚の美味しさが分かったという句。世間で美味しいとされている河豚を、淡泊で物足りないと思って食べていた人が、河豚の出汁に美味を発見し、納得した。本音が出ていておもしろい。
これらの句では、既成概念に捉われず実感を率直に詠んだことで、人間のほんとうの心の在り様を浮き彫りにしている。「滑稽俳句」の味わいが、そこにあると思った。

 
 
総評「後世に引き継ぐ作品
滑稽俳句協会会長  八木 健

 「令和の滑稽句」として後世に引き継ぐ作品を今回も沢山おつくり頂いて本当に嬉しい。理想的には幾たびも読み返してその都度ふふふとなる作品がいい。また、滑稽句の素材は身辺に求めたものがいい。流行の出来事を取り上げたものは作為的になりがちである。その上で「意外性」が読者を驚かせるものであって欲しい。一位に推した「糟糠の妻の朝寝につまづきぬ」はそれである。また作者の存在が現れている句は読者の共感を呼ぶ。「日記買ふ妻無駄と言ふさう思う」は妻に言われて気づいた正直な作者がいる。二位に推した「上向いて歩けば躓くちやんちやんこ」も、齢には勝てないなあという作者の感慨が読者を共感させる。