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これまでの滑稽俳句大賞受賞作品
第一回 第ニ回 第三回 第四回 第五回 第六回 第七回 第八回
第九回 第十回 第十一回第十三回 第十四回 第十五回 第十六回
第十六回滑稽俳句大賞決定
 
神奈川県 山下遊児
山笑ふ使ひ古しの膝もまた
集団で立たされてゐる葱坊主
くちびるをキスのかたちに五月鯉
虫干の中に加はる爺と婆
マイホーム背中に乗せて蝸牛
前世は伊賀か甲賀か水澄し
政治家が持てば氷菓のマイクめく
秋扇たためば孫の手となりぬ
犬用のおしつこシート踏んで冬
節電の為と夫婦で日向ぼこ


受賞の感想
 この度は、名誉ある賞を頂き、選者様ならびに関係者様に大変感謝しております。 「俳諧」を広辞苑で繙きますと、「おどけ・たわむれ・滑稽」とあります。つまり俳句の基本は滑稽にありと言っても過言では無いと思っています。芭蕉が最晩年に提唱したのは「軽み」だと言われていますが、一句から滲み出て来る「笑い」こそが「軽み」だと信じています。 私の所属する「波」俳句会の主宰、山田貴世は、有季・定型を守る以外は自由に個性を発揮して作句せよと指導しております。そんな自由な土壌が、私に滑稽俳句を作らせていると感じています。今後も俳諧の本来の意味を忘れずに精進して参ります。

 
栃木県 平野暢行
凧揚げのいよいよ父の本気かな
呆然と風船の旅見送れり
本当だ蠅が手をすり足をする
我の血をふる里の蚊が覚えをり
六尺の漢ごろりと三尺寝
帰郷せし我を不意打ち威銃
待たぬのに貧乏神の還り来る
大根洗ふ己が足より懇ろに
難問を持ち込んで来る懐手
値上りの福笹重く担ぎけり


 この度、滑稽俳句大賞次点の報を受け、光栄に思うと同時に驚きの気持ちで一杯です。数年前に滑稽俳句大賞を知り、三回目の応募での今回の結果には感激です。八木会長はじめ審査に当たられました諸先生方に、厚く御礼を申し上げます。  数年前までは、滑稽俳句についての概念や知識はなく、いわゆる「俳味」「面白味」ということで理解していましたが、本阿弥書店発行の『俳壇』の読者応募欄「滑稽俳壇」(選者・八木健先生)に出会い、大いに興味が湧き、心魅かれるようになりました。一口に「滑稽俳句」と言いながらも、その奥深さに魅了され、今後も続けて行きたいと考えているところです。

 
兵庫県 水間千鶴子
南座の上にほんものの春の月
燗つけてさて田楽の焼け具合
涅槃図の裏ひそやかに猫ありく
入選の夢をみてをり春炬燵
春昼のプラネタリウムにひと眠り
亀鳴くや竜宮城の夢覚めて
酒断ちは明日からにして初鰹
門を出で猫のそれから漱石忌
釣糸を垂れて煤逃どうしかな
餅搗の二うす三うす湿布薬
 
大阪府 千坂希妙
竜天に天使の梯子登りゆく
  乳房より多き子豚か春深し 
目が合つてもの言ふ猫や万愚節
迷彩の夏服となる塗装工   
剣山を干す縁側に端居して  
風鈴を仕舞ふに鳴らすひとしきり
線香と蚊取線香持ち墓参  
昆虫食塩辛蜻蛉しよつぱいか
大根を抜いて再び入れ戻す 
蒟蒻に寄り添ふ桶の海鼠かな
 
熊本県 西村楊子
積読の山より初日昇りけり
佛具屋のポイントカード桃の花
亀鳴いてAI回路共鳴す
月涼し厨にひとりシンデレラ
ゆうれいの身の上語る廃校舎
首振ってじんわり諭す扇風機
ドローンの羽音谺す紅葉谷
鷗外忌椅子ごとに医師辷り来る
バーコードぶら下げ聖樹立たされる
煤払「かたたたきけん」出にけり
 
審査方法と結果

 十句を一組とし、一組を一作品として十句すべての出来栄えで評価、審査を行いました。応募者数は一〇三名、応募作品数は一〇九組で、応募者は過去最多となりました。すべての作品を、無記名で各審査員にお渡しし、ご審査いただきました。一位から五位までを選出いただき、一位は五点、二位は四点、三位は三点、四位は二点、五位は一点として集計しました。その結果、以下の各氏が受賞されました。
最高得点の十八点で大賞を獲得したのは山下遊児、次点は十点で平野暢行でした。このお二人は、昨年の入選の上位者でした。入選は、八点の水間千鶴子、七点の千坂希妙、西村楊子、廣野順子でした。
以下、六点が森一平、五点が市川蘆舟、尾形誠山、笹野紀美、渡嘉敷敬子、中島悠美子、橋場孔男、四点が久我正明、佐藤そうえき、島村若子、舘健一郎、西野周次、久松久子(二作品)、本多遊子、三点が有本仁政、後藤明弘、田代輔八、宮澤省子、村木節子、二点が木村浩、竹縄誠之、一点が有安義信、稲福達也、加世堂魯幸、北熊紀生、笹ヶ瀬正二、武藤洋一でした。

 
審査経過と講評
「新しい滑稽俳句を」
「軸」主宰・全国俳誌協会会長 秋尾敏

 滑稽にも新しい笑いと月並とがある。新しい笑いを見いだすことは難しいが、昔からある笑いの型に頼ってばかりではいけない。一位に推した作品の〈廃盤が花束抱いておでん酒〉がおもしろかった。演歌のLPかCDのジャケットだと思うが、「廃盤」と言って逆に今のことになった。二位の〈野良犬もなき年の瀬に失業者〉が、現実をきちんと捉えていて月並ではないと思った。ただ今回は、現在の現実をきちんと捉えている句が少なかったように思う。笑いの型で作れば、その句は昔の世界を描き出してしまう。今の時代の本当の姿を暴き出す新しい滑稽俳句を開発して欲しいと思う。

 
「洗練された笑いと詩情」
「帆」主宰 浅井民子

 滑稽には、諧謔、機知、ウイット、ユーモアなど色々な表現がありますが、笑いとは肯定的、向日的なものであり、他者を否定するような笑いは笑いとは言えません。あたたかさのある洗練された笑いと詩情こそ滑稽俳句に相応しいと考えます。この度も多くの応募があり、いずれも読みごたえがありました。中でも、第一位に挙げました「山笑ふ」は、瑕瑾が無く洗練されて、季語が生き生きと語り、具体的でふっと笑いを誘うような機知に富んでいました。一つのテーマを決めて詠まれた作品もあり、挑戦的で良いと思いました。生物の中で人間のみが持つ笑いと詩を共に持ち表現する滑稽俳句は実に素晴らしいものだと改めて思いました。

 
「奔放な個性の俳句」
「游魚」主宰  伊藤浩睦

 他のコンクールでは目にすることが出来ない応募された方の個性の奔放さに圧倒される思いで、拝見させていただきました。滑稽俳句ですから、俳句として出来ている上で、面白い、笑える内容であることが求められますが、これはとても難しいことです。一位には、落語の噺を題材にした九句を並べて、十句目には中七を回文にした作品を推しました。十句をまとめて審査される滑稽俳句大賞の仕組みを活かしたもので、作者の行き届いた智慧に感心しました。二位には、工夫された大ネタではありませんが、十句が生活の中で拾った材料で揃っていて気持ちの良い笑いを提供してくれたものを推しました。

 
「リアリティのある句」
「沖」同人 上谷昌憲

 「腑に落ちない」という成句がある。納得いかないとか合点ができないという意味だが、今回の作品で私が腑に落ちた作品は、日常性を踏まえたリアリティを感じられるものだった。叙景句にしろ人事句にしろ、どんな俳句でも表現にリアリティがなければ感動を与えることは難しいからである。理屈や内容の駄目押しは詩にならない。駄洒落の連発もいただけない。ことほど左様に滑稽俳句は難しい。

 
「覚めた目で推敲を」
「山彦」主宰 河村正浩

 例年と変わらず目先の面白さの際立つ作品が多かった。十句すべてで評価するため、これは良いと思っても、どうしても納得できない句が一、二句あると選べず惜しい作品もあった。従って、先ず十句が平準化し、且つ安心して読める句の多いものを優先した。作品が揃っても直ぐに提出せず、数日間置いて覚めた目で眺め、推敲して欲しい。「切れ」か「助詞」を入れるべきか、新旧仮名遣いの混在はないか、「い」抜き言葉、的確でない季語など、確認して欲しい。一気に十句を詠むのではなく、普段の作句の中から書き留めて置くことをお勧めしたい。

 
上品な滑稽俳句とは
「野火」主宰  菅野孝夫

 好い作品は難しい言葉を使っていない。複雑な言い回しもしていない。当り前の言葉を無理なく組み合わせて、当り前とは少し違った可笑しさを醸し出している。そこから、そこはかとなく染み出て来る哀しさが読者の心を捉える。上品な滑稽とはそんなものだろう。全体にレベルが上がり五篇に絞り込むのは最後まで迷った。特に好きな句を五篇から一句ずつ。「集団で立たされてゐる葱坊主」「新緑の朝の食器はなぜか白」「鷗外忌椅子ごとに医師辷り来る」「本当だ蠅が手をすり足をする」「南座の上にほんものの春の月」。

 
 
理屈ではない可笑しさ
子規新報編集長 愛媛新聞俳壇選者  小西昭夫

 例年のことだが、選考した作品以外にも面白い作品はたくさんあった。しかし、十句すべての出来栄えとなると、こぼれ落ちてしまうのだ。最後まで残した作品は、甲乙が付け難いのだが、まずは作品が 俳句になっているかどうかということを問題にした。理屈になっているもの(理屈で笑いをとろうとするもの)も多かったのだが、それらはできるだけ外した。その上で、残った作品を滑稽を基準に選考した。

 
緩みのない韻文の言葉
「門」主宰  鳥居真里子

 最終的に選んだ作品は、一読して、ああ可笑しいという作品ではなく、時間が経つにつれて思わずクスリと笑いを誘う作品でした。その上で大事なことは、作品としての言葉に緩みのないこと。そして韻文という醍醐味を十分活かした作品であるということです。一位から五位に推した作品の句を一つずつ。「羅のははやうかうかのつぺらぼう」笑う他ない切なさ。「あの頃は人間この頃は湯たんぽ」軽妙なシニカルさ。「金目鯛の目玉あの日の約束の」不思議な浮遊感。「蒟蒻に寄り添ふ桶の海鼠かな」こそばゆい感触。「弟を孔雀と交換する枯野」絵画の美しさ。滑稽には、様々な感情や景色が孕んでいることを改めて実感しました。

 
 
滑稽味をどこに感じるか
「秋麗」主宰  藤田直子

 一篇の十句全てが滑稽味を持っていることを選考基準に読ませていただいたが、それに見合うものはなかなか見つからなかった。最終的に選ばせていただいた一位から五位の作品にも、多少残念な句が混じっていた。その上で新たな基準となったのは、滑稽味をどこに感じた句であるかという点だった。単に面白いだけでなく、人を傷つけない、嫌味が無い、品格を破らない句で纏められた作品を優先した。一位には明るい滑稽味に惹かれたものを推した。二位は、作者の実体験が感じられ無理なく共感できたものを、三位には現代性のある句を選んだ。四位には諧謔、五位には人生の哀歓、共感を覚えるものを取らせていただいた。

 
 
総評「滑稽俳人の祭典
滑稽俳句協会会長  八木 健

 今回、応募点数は過去二番目、応募者総数は過去最多となった。入選作品のレベルは過去十六年ほぼ一定である。そして上位十篇ほどは毎回、激戦となる。それぞれに納得のゆく滑稽があるからだ。滑稽俳句を掲載しているのは、本阿弥書店発行の月刊誌「俳壇」の滑稽俳壇の欄と、滑稽俳句協会報だけである。俳句雑誌でも滑稽句について論じられることはほとんどない。年に一度の滑稽俳句大賞というイベントは、いろいろな滑稽を見せ合う全国の滑稽俳人の祭典のようなもので実に楽しく意義深い。今年の作品たちも将来的に永久保存され、いずれ俳句文学者の研究素材となるだろう。