これまでの滑稽俳句大賞受賞作品 |
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第一回 第ニ回 第三回 第四回 第五回 第六回 第七回 第八回 |
第九回 第十回 第十一回第十三回
第十四回
第十五回
第十六回
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第十四回滑稽俳句大賞決定 |
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奈良県 竹縄誠之 |
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春一番二番三番反抗期
来し方は△ばかり温かし
やることのなくて金魚を太らせる
天瓜粉追ひかけ逃ぐる蒙古斑
埼玉に熊谷のある暑さかな
ままごとのママは泣き虫赤のまま
檸檬切りカリフォルニアの水絞る
外出する妻の化粧の小春かな
はくしよんの国籍不明冬の闇
俗名のままに今年も明けにけり
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受賞の感想
この度、滑稽俳句大賞をいただいたことは、身に余る光栄としか言いようがありません。ありがとうございました。俳句を始めて三年が経ち、昨年の次点受賞をきっかけに、滑稽俳句作りは楽しみの一つとなってきたように思います。選者の一人である河村正浩先生の講評に、「滑稽は意識して詠むものではなく、俳句が持ち続けている本質的な味わいである」との一文がありました。ついつい笑いだけに走りがちになっていた私にとって、改めて俳句作りを考えるきっかけとなりました。 そうはいっても、俳句はまだまだ未熟であり、今後も俳句の本質に近づく努力を怠ることなく、滑稽俳句にも挑戦していきたいと考えています。
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東京都 松谷富彦 |
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犬猿の仲が御慶を交しをり
舌抜かることを重ねて初閻魔
豆腐にも供養の欲しき針供養
鞦韆や愛奪ふにも片思ひ
下穿きを付けずマネキン更衣
しつぽなどくれてやるさと青蜥蜴
アディショナルタイムに入りし敬老日
湯ざめして茹で直したる五体かな
することの無き顔揃へ日向ぼこ
団欒の卓に加はる冬の蠅
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受賞の感想
「滑稽俳句は哀歓の詩」 滑稽を得手とする川柳にならないよう四季の季語を活かした作句に挑戦しました。人間そして小さな虫けらも含めた生きとし生けるもの≠フペーソスを詠み込んだ滑稽俳句を目指しました。 人間の日常、生き物たちの営みを観察し自らをも客観的に眺めれば、日々のただ事≠フ中に愛おしさ、哀歓溢れる滑稽が生れては消えていることに気付きます。 新興俳句の俳人、渡邊白泉の滑稽仕立ての〈おらは此のしつぽのとれた蜥蜴づら〉は、私の愛誦句の一つですが、白泉は〈拙い人生を自嘲しながらでも、せめて懸命に生きましょう。〉と自句自解。 滑稽俳句かくありぬ、と思います。
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東京都 八塚一 |
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たぶん弱アルカリ性の白露かな
答えなどここには無いと冬の波
この星で人間だけが大晦日
禅寺に紅一点の緋鯉かな
焼香の形で鮎に塩をふる
狛犬も目を合わせない秋日照
タダ券で物知り顔の美術展
高そうな千歳飴持つ写真館
はんぺんやちくわに鮫の無念かな
枯園のベンチでランチ鳩がくる
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次点の連絡をいただき、大変喜んでおります。本当にありがとうございます。六年前に滑稽俳句協会に入会してから、毎年一月末に締め切られる滑稽俳句大賞への応募は私にとって去年一年を句と共に振り返る大切な習慣になっています。 かつて私は詩を書いていました。その時にアンパンマンの作者である故・やなせたかし先生から「ごく解りやすい明るい詩を書く八塚君は自分の詩の言葉を既にもっている」という言葉をいただき、それを誇りに「明るい詩」の伝道師たらんと今では滑稽俳句に傾倒しています。
今後とも会員の皆さんと一緒に滑稽俳句を磨いていきたいです。
改めてお礼と感謝を申し上げます。これからもよろしくお願いします。
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埼玉県 伊藤泰子 |
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レシピ本半日眺め秋刀魚焼く
スマホのことスマホで調べよ神の留守
躓きて手を突く先の冬の蠅
熱燗やお国言葉のほろほろと
三日目のおでんの竹輪妻の留守
鯛焼の別腹といふ呪文あり
着ぶくれて正面ばかり向いており
獣医から犬の名前の賀状かな
初売の見るだけの指輪はめてみる
夫とふたりラインの練習春炬燵
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愛媛県 日根野聖子 |
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水になることを拒んで白魚に
泣くもんかてふ顔のまま泣き卒業子
初夏やうかうか恋など始めねば
生き方のレシピややこし胡瓜もむ
えらいこつちやごめんやつしやと秋の蝶
花八手女に愛嬌要らんやろ
太陽がぎゆつと握れば切干に
冬構少し太つてみることも
寒餅や頑固は時に褒め言葉
寒星を袋に入れて金平糖
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三重県 小林英昭 |
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啓蟄や出口調査のアンケート
一列に詰めて目刺となる屋台
揚雲雀一羽は高所恐怖症
弁護士を呼んでくれますかとバナナ
艶本に目のない紙魚の舌鼓
水瓶は孑孑どちの鹿鳴館
いのこづちついて来るかとプロポーズ
叩かれてばかり西瓜の行き遅れ
河豚鍋に水杯を交はしけり
探梅行一一〇番に電話され
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審査方法と結果 |
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十句を一組とし、一組を一作品として十句すべての出来栄えで評価、審査を行いました。
応募者総数六十六名、七十五組すべての作品を、無記名で各審査員にお渡しし、ご審査いただきました。一位から五位までを選出いただき、一位は五点、二位は四点、三位は三点、四位は二点、五位は一点として集計しました。その結果、以下の各氏が受賞されました。
最高得点の十六点を獲得したのは、竹縄誠之と松谷富彦で、大賞受賞者は二名となりました。両氏とも、一位に推した審査員が二名、二位に推した審査員が一名で、竹縄氏には四位に推した審査員が一名、松谷氏には五位に推した審査員が二名で、合計点は同点となりました。次点は十三点の八塚一、入選は十一点の伊藤泰子と日根野聖子、十点の小林英昭でした。
以下、七点が柳紅生。六点が久松久子と水間千鶴子。五点が月城花風、美花里春一、橘美泉。四点が山下遊児、吉浦百合子、平野暢行、柳村光寛、渡辺一充、稲葉純子、峰崎成規、永井貴士。三点が西野周次と大木雪香。二点が松村正之、中緒知和子、加世堂魯幸。一点が尾倉雅人、天野光暉、千々和美佐子でした。
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審査経過と講評 |
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「深みのある滑稽を」
「軸」主宰・全国俳誌協会会長 秋尾敏 |
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「兼題は嫁が君なりバンクシー」の作品群は、俳諧の伝統的なおかしみを、今の素材に生かそうとしているようで深みを感じた。「本当に愛はあるのか天の川」は、川柳的な句も多かったが面白く読めた。「たぶん弱アルカリ性の白露かな」は、前半三句はとても良かったが、後半が少々弱かった。「水になることを拒んで白魚に」は、俳句として成立している。「このブーツ修羅の道には向きません」は、知的な分、頭で考えたことが見えてしまうが、それはそれとしてうまく出来ていると思った。
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「品格と深い詩情」
「帆」主宰 浅井民子 |
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長引くコロナ禍、閉塞感や様々な困難に直面していますが、そのようなときだからこそ四季の変化の美しさに和み、自然の力強さに心打たれ、あらたな発見をする機会を得られた方も多いと思います。
かかる状況においても多くの優れた応募作品があり、諧謔、機知など俳諧味たっぷりに日常を生き生きと描き、笑いを忘れず過ごす逞しい姿が浮かび上がってきました。入選五組には、滑稽に品格と深い詩情が感じられる作品を選びました。
地球上の全ての生物の中でヒトだけが持っているもの、それは「笑い」と「文字を持ち、詩を作る」ことが出来るという事です。このふたつの天賦の幸を表現できる滑稽俳句の素晴らしさを再認識しました。
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「滑稽は自然体で」
「沖」同人 上谷昌憲 |
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俳句はもともと「俳諧の連歌」から生まれて今日に至ったもので、平安時代の和歌のアンチテーゼとして位置付けられてきたものである。つまり、そこには最初から庶民の諧謔や風刺といった精神が組み込まれ、貴族の雅びや教養を競う文芸とは異なる土壌で発酵してきたものとされている。
私が上位に推した作品は、そうした基本的なテーゼを踏まえ、無理矢理滑稽を打ち出そうとした作為が見られないものばかりであった。
俳句は何よりも自然体。説明臭い句や意味を駄目押ししたような句は頂けない。そして、もっと頂けないのは、手垢のついた表現である。
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「一句の完成度と推敲を」
「山彦」主宰・山口県俳句作家協会会長 河村正浩 |
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滑稽へのこだわりが全面に出ているため、本質的な味わいが薄く余韻余情に欠ける作品が多い。
何よりも大切なのは、一句一句の完成度であり、且つ個性的で類似類想のないことである。
そして、十句揃ったから良いというものではない。推敲すれば良くなる句が沢山あった。語順、安易な擬人化、文法的な誤りなどである。内容は地味でもよい。味わいのあること、つまり俳諧味のあることである。
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「余韻を残す」
「野火」主宰 菅野孝夫 |
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おもしろい句はあったが、おもしろくて哀しくなる句は少なかった。一連の作品を見て感じたことは、きわめて川柳に近い作品が多かったということ。事柄のおもしろさを発見したまでは良かったが、結論まで言ってしまって俳句にとって大事な余韻をなくしてしまっている句はもったいなかった。
一位に推した作品は、切れを生かして、ギリギリのところで「俳句」になっていたと思う。「やることのなくて金魚を太らせる」の背後には確かに作者がおり、「埼玉に熊谷のある暑さかな」も何だか可笑しい。十分に俗を抜け出していると思った。
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「滑稽俳句としての魅力」
子規新報編集長 愛媛新聞俳壇選者 小西昭夫 |
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どの応募作品にも魅力的な滑稽句がある。しかし、十句すべての出来栄えをトータルに評価することになると、すぐれた滑稽句を揃える必要がある。
その中で注目したのは、「埼玉に熊谷のある暑さかな」など川柳すれすれの作品だが、「檸檬切りカリフォルニアの水絞る」の句などとともに機智の生み出す笑いに感心した。「春一番二番三番反抗期」の感覚や「俗名のままに今年も明けにけり」のゆとりともブラックユーモアともとれる笑いも魅力的だった。また別の作品では「年寄りも生きてるだけで汗をかく」「豆腐より皿のよく冷え冷奴」など日常の中にある笑いを上手く見つけ出していて注目した。二位から五位の作品も甲乙つけ難かった。
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「笑いに替える力」
「春耕」編集長 蟇目良雨 |
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総論:コロナ禍の苦境を笑いに替える力を作品に見て救われた。カタカナ俳句ながら深い意味を持つ作品の出現は喜ばしいと思った。 秀句:「アディショナルタイムに入りし敬老日」「埼玉に熊谷のある暑さかな」「ひもすがら尺蠖虫のスクワット」「子もラヂオも叩かれ育つ昭和の日」「狼をいたこに呼び出してもらう」
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「繊細な感性と快い余情」
「秋麗」主宰 藤田直子 |
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全作品を楽しく拝読致しました。選の基準は、@繊細な感性から生まれたユーモアであること、A読後に快い余情が残る作品であることとしました。
一位の作品は、現代社会の実相が詠まれていました。二位の作品は、既成の言葉を巧みに操って詠んでいます。三位の作品は日常の己を自嘲的に詠んでいながら嫌味がありません。四位の作品は季語を中心に発想している点が良いと思いました。五位の作品は老人の日々をアディショナルタイムと表す等、明るさがありました。選ばせていただいた五作品はいずれもユーモアとペーソスを滲ませつつ、品格を失っていない作品でした。
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「言外の可笑しさと意外性」
「波」主宰 山田貴世 |
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応募句のどの作品にも取り合せの上手さがあり、言外に滲む可笑しさがありました。一位に推した句は、滑稽俳句の要素とも言える意外性が滲む句群でした。「揚雲雀」の句の高所恐怖症は抜群。「叩かれて」の句の人間社会にも通ずる句には脱帽。「探梅行」の句の風流を解さない俗人の姿におかし味が醸し出ました。
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総評「今後に期待できる原石」
滑稽俳句協会会長 八木 健 |
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十句一組での応募にしているのは、作者の実力をより正確に把握するため、というねらいがある。野球の打率に近いだろうか。完成度の高い滑稽句を十句そろえることは、単なる偶然ではありえないからである。選句を終え、ふと一句のみで審査するとどうなっていただろうと思い、応募句七百五十句全ての中から改めて五句を選んでみた。なんと四句は審査結果と重ならなかった。これは、今回は打率が低いために入選しなかったが、今後に期待できる原石が存在するという事である。滑稽俳句界の大谷やイチローがまだたくさんいるとは嬉しい限りである。
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